オスカルの引退が教えてくれた。あのチェルシーと2010年代プレミアリーグの記憶
2026年4月、オスカルが心臓疾患により現役引退を発表した。彼がスタンフォード・ブリッジで過ごした5年間と、あの時代のチェルシー、そしてプレミアリーグをデータで振り返る。
2026年4月4日、元チェルシーのブラジル代表MFオスカルが現役引退を発表した。
2025年1月に復帰した古巣サンパウロでのトレーニング中に突然意識を失い、心臓の精密検査で「血管迷走神経性失神」と診断。以来5ヶ月にわたってプレーできない状態が続いていた。
「心臓が約2分半止まった。本当に衝撃だった」
オスカルは引退表明の動画でそう語った。34歳。まだやれる年齢だったはずの現役生活は、病気によって幕を下ろすことになった。
オスカルとは何者だったか
オスカルことオスカル・エミリオ・ボルジェス・エムボアバは1991年生まれのブラジル人。インテルナシオナルを経て、2012年に£25M(約45億円)でチェルシーに加入した。
チェルシーでの5年間の成績は以下の通り。
| 項目 | 数字 |
|---|---|
| プレミアリーグ出場 | 131試合 |
| ゴール | 21 |
| アシスト | 19 |
| 優勝タイトル | PLで2回、ヨーロッパリーグで1回 |
2012-13シーズンには、フアン・マタ・フェルナンド・トーレスとともにチェルシーの全コンペティションで64試合に出場。これはその年のクラブ最多出場記録だった。
プレミアリーグのスタッツとして目立った数字ではないかもしれない。しかしオスカルの真骨頂は数字ではなく「プレーの質」にあった。狭いスペースでのターン、前を向く判断の速さ、どこからでも打てる左足のシュート。スタンフォード・ブリッジのサポーターが彼を愛したのは、そういう理由だった。
オスカルが在籍したチェルシーの時代
オスカルがチェルシーにいた2012〜2017年は、クラブにとって濃密な5年間だった。
監督が6人替わった時代
| シーズン | 監督 |
|---|---|
| 2012-13 | ベニテス(暫定)→ モウリーニョ就任 |
| 2013-14 | モウリーニョ |
| 2014-15 | モウリーニョ(リーグ優勝) |
| 2015-16 | モウリーニョ解任→ グアルディオラ→ ヒディンク |
| 2016-17 | コンテ(リーグ優勝) |
モウリーニョ体制下の2014-15シーズンに1度、コンテ体制の2016-17シーズンに1度、オスカルはPLタイトルを経験した。しかし2017年1月、彼は上海申花に約73億円で移籍。コンテのチェルシーが優勝する瞬間を、中国の地から見届けることになった。
モウリーニョ第2期チェルシーのデータ
2014-15シーズン、モウリーニョが率いたチェルシーのPL成績は圧巻だった。
勝点87でリーグ優勝。2位マンチェスター・シティとの差は8ポイント。最少失点は32でリーグトップの守備を誇った。
オスカルはこのシーズンにPLで7ゴール・7アシストを記録。モウリーニョが最も信頼した選手のひとりだった。
あの時代のプレミアリーグ
オスカルがスタンフォード・ブリッジでプレーしていた2012〜2017年のPLは、いくつかの意味で特別な時代だった。
史上最大の番狂わせが起きた時代
2015-16シーズン、レスター・シティが開幕前オッズ5000倍で優勝した。オスカルはこの年のチェルシーで、モウリーニョ解任という混乱の中でプレーしていた。
「ヴァーディが11試合連続ゴールを記録し、レスターが頂点に立った。その同じシーズン、優勝候補と目されたチェルシーはモウリーニョを解任していた。」
ビッグ6の勝点争い(2012-17の平均)
この5年間のPLは、上位6クラブが激しく競い合った時代でもあった。
| クラブ | 5年間の平均勝点 |
|---|---|
| マンチェスター・シティ | 79 |
| チェルシー | 74 |
| アーセナル | 72 |
| マンチェスター・ユナイテッド | 68 |
| トッテナム | 64 |
| リバプール | 63 |
チェルシーは安定して上位にいたが、Man Cityには一歩及ばなかった。
中国という選択
2017年1月、オスカルは当時として異例の額——約73億円——で上海申花に移籍した。PLで活躍する28歳の選手が、欧州トップリーグを離れる決断をしたことは大きな話題を呼んだ。
その後の8年間、オスカルは中国スーパーリーグで3度の優勝を経験。2025年1月に幼少期のクラブであるサンパウロに戻ったが、その半年後に心臓の問題で引退を余儀なくされた。
中国移籍後の8年間、オスカルはPLのピッチに立つことは一度もなかった。それでも彼がチェルシーサポーターの記憶に残り続けているのは、スタンフォード・ブリッジで見せたあの「柔らかいタッチ」があったからだろう。
引退の言葉
「サンパウロでもっとやりたかった。まだできると思っていた。でもこうなってしまった。今はファンとして生きていく。」
引退を発表する動画の中でオスカルはそう語った。
ブラジル代表として48キャップ、コンフェデレーションズカップ優勝、2014年W杯出場。チェルシーでのPLタイトル2回とヨーロッパリーグ優勝。数字だけ見れば、十分すぎるほどの実績だ。
それでも「まだやれた」という言葉には、病気という理不尽な終わり方への悔しさがにじんでいた。
オスカル、お疲れ様でした。
Chelsea PLデータはPremier League公式統計に基づきます。